WHITE

でつ

12:03

終電逃して朝帰る道も、タバコくさい服も、徐々に明るくなっていく街も、みんな嫌い。

夜は寝るものだし、朝は陽を浴びてぼーっとするもの。シャワーを浴びた後、美味しい朝ごはんを食べて、強制的に幸せを感じさせるようにココアを飲むもの。濃すぎるくらいのミルクティーでもいいけどもそこら辺はお任せで。一息ついたら、きっとやらなければいけないことがたくさん思いつくはずだから、それをこなす土曜日でありたい。人はやったことよりもやってないことに追い詰められる、と言うのはよく聞く話で、全て終わった日曜日の朝は最高。

明日をそんな日にしたいと思いながらも、今日だって11時まで眠っていたし(朝の7:00に帰ってきたから午前中に起きたのは褒めて欲しい)、窓を開けるために立ち上がったら、まだお酒が残ってたのかクラクラしたし、水を飲みにキッチンに行ったらコンロの横に定期と職場の鍵がポンと置いてあったし(色々危ない)、どう考えても最悪な土曜日の朝を迎えている。

たまに割と本気で、不完全でしかないなと思う時がある。読みかけの小説とか、時間が合わない電波時計とか、全然あったまらないルームソックスとか、不完全なものが集まりすぎてる。類は友(?)を呼ぶと言うけれども、わたしもそうなのだろうか。でも結構好きだったりする。前にiPhoneのカメラとライトが壊れたまま使っていた時に、急に自分のiPhoneになった気がして嬉しくなった。そのあと直したからまたみんなが持ってるのと同じものになったのだけれど。

不完全なものが愛おしい感覚は、あながち間違ってないかもしれない。読みかけの小説は何冊も積み重なってるし、電波時計は時間を合わせずに3分遅れたものを使っているし、全然あったまらないルームソックスは甲のところに猫の顔が書いてあるから許してる。

「気分が落ち込んでいる時には、夜しっかり寝て、朝早く起きて、朝ごはんをしっかり食べて、お化粧は手を抜かず、服は着飾って出掛ける。それを1週間続けてみよう」と言われたことがある。いつも不完全だからこそ、完璧な1週間を取り繕ってみてもいいかななんて思って続けたりしていた。別に綺麗になった訳でもないし、落ち込んだ気持ちは取り除けなかったけど、しっかり自分の両足で立ってる感覚は好きだったかな、と。

ありたい自分で振舞っていたら、本当の自分がそっちの自分に飲み込まれた、とマツコデラックスは言っていた。それはまだちょっと怖い。

まだまだ、ふわふわ浮いてる甘っちょろい小娘でいたい。