WHITE

でつ

椿

「くしゃくしゃな笑顔」

という言葉には底知れぬ魅力を感じるよね。ふわっと笑った笑顔も好きだけど正直誰だってできるし、アイドルとかよくやってるそれだしね。実際賛否両論分かれると思う。でも、くしゃくしゃな笑顔は、世の中の多分九割九分九厘、素敵と言うと思う。そして、誰だってできる必殺技だと思う。人は涙よりも笑顔が魅力的よ。

例えば、苦しくても笑っている人がいるとする。気付く人にとっては、泣いている人よりも苦しいことが伝わるし、何より、もう頑張らなくていいよと甘やかしてしまいそうになる。気付く人がいたらの話だけれども。なんの話だ。

泣きたい時には泣けばいいよ、と心の中で唱えてる時期があった。小、中学生くらいの時。超絶闇を抱えていたわけではないし、相談できる人もいたし死ぬほどではなかったのだけれど、多分普通にキャパオーバーだったのだと思う。自分が思うほど、自分のキャパは大きくない。自分が思うほど、周りは自分を見ていない。と気付くには随分とかかった。やはり、成長すると言うことは必要なんだな、と。なんの話だ。

似たような服に、似たような言葉、似たような友達、似たような食べ物が揃ってしまう毎日だけれども、それを嫌だとは全く思わない。わたしの色に染まれとも思わないし、わたしが染まりたいとも思わないけども、好きなものばかりに囲まれていたいなと常に思っている。

「遠くからでも歩く姿で、あなたと分かったよ」と言われたことがある。きっと毎日似たような服を着て、似たようなカバンを持ち、似たような髪型をしているからなのだろうけど。嬉しいような、味気ないような、そんな気持ちになった。洋服の系統は中3から全く変わらないし、ボブに初めて切ったのは小2だった。親の選ぶ服は大抵ダサいと言うのが定番だけれど、わたしは好きなものが変わらなすぎて、親が買った服も大抵当たる。むしろ「それ!」となる(ただ単にお母さんのセンスがいいだけかもしれない)。

成人式の振袖は、赤を着て欲しかっただろうに。焦げ茶色を選んで、黒のレースの手袋をはめた。髪は上げずにストレートなショートボブ。髪の横には赤い椿を付けて。それがいいと思ったし、今も後悔はしていない。一生に一度の晴れ姿は“今”の自分が一番好きなもので着飾りたかった。そして、とても可愛かった。将来写真を見た時にも、この振袖可愛いなと思う自信はいくらでもある。

人は変われるし変われない。

あの日はくしゃくしゃに笑った。