WHITE

でつ

遅れてきた夏休み

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お久しぶりのような。長い夏休みをもらっていました。ひとつだけ言えるのは休みは大切ということ。心も体も復活して戻ってきました。

最近よく思うのはわたしの言葉が相手にとってプラスの言葉になるのか、マイナスの言葉になるのか全くわからなくて怖い、ということ。わたしは励ますつもりで、元気付けるつもりで言葉をかけていても、相手からすれば論点がずれた話をしているかもしれない。そう思うと、誤解を生まないようにと言葉が足され、あれやこれやという間に何を伝えたいのか相手もわたしも分からなくなる。それは全くわたしの言葉ではないし、もっとスッキリはっきりさせたい。わたしのわがままだろうか。

最近は人の言葉に大げさに耳を傾けるようにしている。わたしが今まで信じてやってきた部分に疑問を投げかけるために。とか言ったらカッコよく聞こえるけど、要はわたしの考えが本当に合っているのか知りたいだけ。「わたしがよければそれでいい」と思って今までやってきたし、それでまかり通ってたけども、なんだか最近はそれに納得する人が多すぎて、不安になってきている。わたしの決めた意見に賛成してくれるのはとっても嬉しいのだが、別に賛同して欲しくて話しているわけではないのだけは知ってほしい。反対意見があったって、別の角度からの意見があったっていい。それは自分から聞きに行かないと分からないということに気がついた。自分一人で突き進んできたわけではないということにも気づいた。

前偶然誘われた飲み会で、同じような仕事をしている人と話をしたのだけれど、仕事の話をするのが楽しいと思ったのは初めてだった。その人も担任を持っていて同じくらいの年齢の子どもたちを見ていたことがあるらしい。「自分は怒った後に、“ごめんね”ではなくて“ありがとう”で終わらせたい」と言っていた。その時は特に具体的なイメージがつかなくて、実際に仕事をしている時も怒った後にありがとう、は難しいなと思った。けど、最近少しだけやり方が分かってきたような気がする。

子どもが友達の積み木を壊しちゃった時、わたしは「壊したら悲しい気持ちになっちゃうんだよ」「ごめんなさいだよ」と言葉をかける。その子は「ごめんなさい」と素直に言えた。「ごめんなさいが言えたね、すごいね」と褒める。その後に「壊しちゃったから一緒に作ってあげようか」と声をかけた。そうしたら、壊された友達は「ありがとう」と言った。

子どもを叱る時には「ありがとうで終わらせよう」と言っている自分がいる。凄くいい経験になった。