WHITE

でつ

好きをもう一つ

恋愛的に苦しいこと、悔しいこと、悲しいこと、いわゆる嫉妬というものを感じると、喉の下あたりがぎゅーっと痛くなって鎖骨が軋む。ギシギシ痛くなる。そのあと泣いたりとか怒ったりとか落ち込んだりとか色々あるけれども、その軋んだ感覚は意外と嫌いではない。そもそもその感覚が嫉妬ということに気がつくのに時間がかかった。記憶では大学1年生の冬。仲良くしていた男の子が急に「電話を切る」と言い出した。「なんで?」と聞くと「他の子からかかってきたから…」と。「おっけ〜切ろっか!」と言って切ったものの、鎖骨は軋むし喉元痛いしなんだこれって感じだった。あれが多分最初(高校の時に付き合っていた人はいたが、嫉妬とかの次元じゃないくらい変な人だったから除外)。好きなんだなあとふんわり思ったが、それは伝えないまま今に至る。鎖骨が軋む人は未だにその人しかいない。時々連絡を取るときもたまに軋んでるけど言わないようにしている。

なんで嫌いではないのか、というと自分でもよくわからないのだけれど多分「大切にしている」と体を通して感じることができるからだと思う。自分の頭の中では、昔から大切で今も大切にしていて、これからも大切なのだけれど自分のことなのに確証がない。たまにその人と電話すると、やっぱり少しのことで鎖骨は軋む。ああ、まだ大切だよな、そうだよななんて心の中で思っていたりする。

そもそも、恋愛的思考を“心”なんていう不確かなものに頼ってる時点でちょっとおかしい。心はどこにあるか、胸か頭か、という質問をされたことがあるけど、そもそもないと思うから特に答えもしなかった。でも、どこで好きや嫉妬を感じているのか(まあ、頭からの指令なんだろうけど置いといて)、やっぱり心が感じていると思った方がドラマティックだし非現実的だし楽しい。だから人は目に見えない存在しないそれを作ったのか。

グッとくる、たまんねえ、そんな言葉にできるようで全くできない感情はどこで感じているのか。その感覚も、嫉妬の時と同じように体に信号を送ってくれればいいのに。一番強くて独特で特定の人にしか感じないから、嫉妬だけ飛び抜けて体感しやすくなっているのだろうか。よく分からないし考えても出てこないからやめておく。

「好き」という感情は何個あってもいいと思ってる。どこかでその人は特別ってことだから。だから鎖骨が軋まない好きな人もいるし、死ぬほど軋む人もいるし、人それぞれ。

できれば全員を好きになりたいと思いながら。思いながら。