WHITE

でつ

嬉しさとは

コンビニに入った。商品を手に取って一歩下がったら割り込んで入ってきたおじさんと足がぶつかった。「すみません」と「痛って」が同時だったと思う。痛って、に続けて舌打ちをした後に「あ?痛ってえな、ごめんなさいの一つも言えねえのかよ」そう言われた。何も言わず一瞥してから、スイーツコーナーで何買おうかなと悩んだ。その間もおじさんはこちらを睨み続けていたが、クソくらいどうでも良い。お前は人間やり直せ、そう思ったくらい。

 

例えばわたしの中で、その人の魅力は歌声だったとしてその人とカラオケに行ったり、その人が歌う場に行くのが楽しくなるのが当たり前だと思う。相手の人からもわたしとカラオケ行って楽しいな、と思ってもらえていたとしたら2人の時間は歌になるはず。でも、その人が本当にかっこいいところは別にあるかもしれない。その、一番かっこいいところをわたしは見れない立場の人間かもしれない。あと、一番かっこいいところを見せる相手が他にいるかもしれない。とりあえずわたしが付き合えるところの範囲ではない。それを、関わっていくうちに何かどこかのタイミングで知ったとして、わたしはとっても落ち込むと思う。その人の一番の魅力を見てみたい。わたしも連れて行ってほしい。一緒に同じ景色を見てみたいし、同じ匂いを嗅いでみたいし、同じものを食べてみたい。そして、多分勝手に、その人の歌声には魅力を感じなくなる。一番に気がついた瞬間に、そっちの方がいいってなってしまって。でもそれは相手は全く知らないことであって、わたしの自分勝手な行動であって…。そうやって多分離れていく。うまく説明できないけど、今日そんなことを思った。

昔も今も変わらず、隣の芝は青い。お母さんが同じものを食べているのを知っているのに、交換してもらったりしていた。同じ味だった。多分、歌声がきれいだと思ったその人が、違う相手に目を向けているというだけで、数千倍青くなるのだと思う。それはもう仕方ないし、ああ、青いなと思うくらいになってきたけど、昔は手に入れたくて自分のものにしたくて仕方なかった。

嬉しいことというのは、意外と小さいところにあったりする。でもそれには少しでもいいから「特別」ということが入っていなければならない。2人で1つのショートケーキを食べていたとして、いちごをわたしにくれたとか。そういう事。ね。

そういう事の積み重ねで好きになっていく。