WHITE

でつ

人生はなまる

わたしの職業の人たちは、その相手を評価する時に個性を大切にしてくれる(多分仕事柄)。イレギュラーなことやマイノリティなことに対しての受容の幅が広い。

わたしの園に実習生が来た時に、その実習生はかみつきがある子のクラスに入った。実習日誌には「先生方はかみつきなどの欠点がある部分もしっかりと受け止め、改善策や対応方法を考えていた」と書いてあった。そのクラスの先生は「かみつきを勝手に欠点にしないでほしい」と言った。そこの、そもそもの考え方でかみつきの子への見方が変わる。わたしもそう思う。相手に上手く気持ちを伝えられない、それだけの語彙がない、だから言葉の代わりにかみついているのかも知れない。それもその子の個性なのだ。その個性と自分、その個性と他の集団が上手く一緒に生きていくためにどうしたらいいか、を常に考えて書き出して実践して反省して、を毎日繰り返している。

その人の欠点の全てが全て個性だとは思わない。自分でなんとか出来る所の欠点ならば直した方がいい。相手も関わりやすいし自分も生きやすい。でも、どうしたってどう生きたって、どうにもできない部分はきっとある。例えば性癖とかセクシャリティとか。触れにくい部分になればなるほど、誤解や偏見や批判が多くなる気がする。多分一番近いのが“引く”という感覚。そこを、どれだけの幅受容できるか。受容してくれるか。今身を置いている環境が受容の幅が広い人たちばかりのため、少しは自信を持って生きたいられるが、普通に一般企業に入ってOLとして働いていたらきっと違かったと思う。今日自分が買った眼鏡を見て、なんかそう思った。うちの会社の人達なら「それいいね」と言ってくれるな、と。

まとまらなくなってきたから、話を変えよう。

今日行った眼鏡屋さんで、カウンターにいる人たちには話しかけにくかったから、フロアを回っていたお兄さんに声をかけた。その人は、わたしが分からなかったり、微妙な反応をすると「すみません、分かりにくいですよね」と微笑んで丁寧に教えてくれた。例えばそれがその人にとって簡単なこと(店員さんだから分かりにくいなんて思っていないと思う)だったとしても、相手が分からないという空気を出した時に「分かりにくいですよね」と、その気持ちを汲み取って受け入れ、寄り添う形を取ってくれたことに話しやすさを感じた。「ね〜そうよね〜あなたの気持ち分かるよ〜」ってしてくれることって、大人でも居心地がいいのだなと思った。ちなみにその店員さんはわたしと同じ名字で、わたしが愛用している三色ボールペンと同じものを使っていた。そのボールペンも何種類もあるのに、同じ色のものを。まあ、どうでもいいことなのだけれど。

例えば大切な人が分からないような、でもそれを言い出しにくいような空気を出した時に、「そうよね〜分かる分かる〜」としてあげて、少しの安心感を与えることができたら、人生はなまるだな。なんて思った。